都市×縄文で生きる~自分・地域・世界の視点~:Jun Amantoさん
大阪一の繁華街「梅田」。そこから徒歩圏内の「中崎町」は、古民家を改装したカフェや雑貨屋、美容室などが並ぶオシャレな街歩きスポット。
Nakazaki-choが海外でも紹介されるのは、ただ単に「日本の古い町並み」があるからではない。そこには人が人として心を通わす、都市型の縄文人的循環コミュニティがある。 ※「中崎町」という地名はなく、大阪市北区の中崎西と中崎にまたがる地域を「中崎町」という。
「暮らし」そのものが芸術となる縄文的生活
今、「縄文」が密かなブームだ。縄文時代は戦争がなく、完全なる自然との共生、地球の循環の一部として生きる人間の姿があったという。
「次の世代につながる美しい仕事、自然と人間を調律するための音楽やダンス、人や地域を再生していくための儀礼儀式―すべての職業が芸術だった時代が縄文時代。
僕の人生のテーマは、『文化や芸術が人を豊かにし、地域を活性化するということが、現代の大都会でも通用するのか』ということなんです。
昔の暮らしは、『米づくり=食べること』は全員でやって、織物や陶芸など、それぞれの得意分野が職人として分業して助け合っていました。中崎町に置き換えれば、食を担うカフェをみんなで運営して、カメラマン、ミュージシャン等が地域や世界の問題を取り上げながら自己表現をするということができています。」
俳優で舞踏家のJun AManToさんがカフェSalon de AManTo 天人を始めたのは約20年前。中崎町内にはAManTOグループとして活動している様々な拠点が16店舗あり、縄文人的精神を持った都市型コミュニティを形成している。
「僕はずっと俳優を目指していたんだけど、それだけじゃ食べていけないから、アーティスト仲間とイベント会社を立ち上げました。一方で、若い頃は、人権問題や環境問題が基で派生したヒッピー文化とかパンク、ロックミュージックが流行っていて、そういう思想に触れることが多かったんです。 気づけば、平日は企業の商品宣伝のために働いて、休日はその企業がやっていることに反対するような状態。お金をもらっている仕事とプライベートの行動が相反しているって思ったら仕事が続けられなくなってしまいました。仕事がないからお金もなくて、食事も宿泊も色んな人にお世話になりながら、世界中を旅してパフォーマンスを続けていったんです。
でも、『これはサステイナブル (持続可能)な生活ではない』ということと、『お世話になった人が日本に来た時に、おもてなしをする場所がない』ことに気づいて、地に足をつけるための場所を探しました。都心で、かつ地域の歴史とコミュニティが残っていた中崎町は、ピッタリの場所だったから、ここにカフェを作って、世界中を旅して学んできたことをアウトプットする場にしようと決めました。」
Salon de AManTo 天人本店。18年前にJunさんがたった一人で改装した。高齢化、孤独死などの問題を抱えた地域がおしゃれな街歩きスポットと化した原点。
必要必然から生まれるカタチ
「僕が来た時の中崎町は高齢化で、空き家がすごく多かったです。『カフェでアートをやりたい』と言っても、『それは食いもんか?うまいんか?』って言われる始末(笑)。
お金もなかったし、循環型を目指していたから、一人で廃材を利用してゴミを一切出さずに古民家を改装しました。近所の子どもたちが手伝ってくれるようになり、お手伝いしてくれた子どもには差し入れでもらったお菓子をあげていました。それがスタートで、今もカフェでは子どもはドリンク一杯無料。もう一杯飲みたかったら店の手伝いをするという仕組みが生まれたんです。
18年間それをやっていたら、成人して就職した最初の頃の子どもたちが、今度はジュースをおごる側に回るという循環が生まれています。 この辺の親は共稼ぎが多くて、学校が終わってから親が家に帰ってくるまでの時間は子どもが一人ぼっち。ここで子どもが待っていてくれると親たちは安心なわけ。小学生がランドセル背負って喫茶店に行くなんて、学校でも禁止されていることだけど、誰も何も言わない。でも、この状態って、誰も損しないし、みんなにメリットがあることなんだよね。」
AManTOの子ども大家族食堂は貧困家庭だけに焦点を当てていないところが他の子ども食堂と一線を画す。人が人として交わる生活の場が未来へとつながるという。
「子ども大家族食堂(子ども無料食堂)を始めたのも、そんな子どもたちの様子を見ていたら、『孤食』と『格差』という問題が見えてきたからです。ここに来る子どもたちは、シングルマザーの子どもや共稼ぎの家庭の子ども。いずれも一人で夕飯を食べる状況が多くて、大皿をみんなで取り分けたり、みんなが使ったお皿を全員で洗ったりする経験が少ないんです。年上の子が年下の子の面倒を見てあげる、とかね。
あとは、経済状況の違いで友達関係ができてしまうと、この先20年、立場が二分してしまいます。仮に将来、中崎町の再開発の話が持ち上がった時、富裕層の意見だけが通ってしまったりすることを危惧しているんです。だから、小さい頃から人としての交流を深めておくことがとても大切になります。」 子ども大家族食堂の他にも、手話教室、難民支援、防災ワークショップなど、社会問題に向き合う人々がこのカフェに集う。
そして、その問題を解決するためにカフェや映画館、ライブステージ、ラジオ局などが生まれてきた。問題解決の手段としての場所があり、それを解決していく過程の中で生まれるものが、さらに別の問題解決のツールになっている。
カフェの他にはライブステージやミニシアターも。中崎町での「必要」から生まれたもの
「自然はグラデーションで、はっきり分かれてないですよね。発酵も、この菌が何して次の菌が何してなんて、分かれていない。そういうことが人の心でも起こるんだと思います。心の発酵みたいな。僕らの取り組みに参加している子どもたちは、地権者の子どもだったりするんですよね。だから、誰も僕らの家賃を上げようとしません。僕たちが狙っていなかったところで、思わぬ化学反応が生まれてきます。
よく勘違いされるのは、カフェを中心にして映画館やラジオ局があるという、目に見える部分を真似したら同じようなことができる、と思われてしまうこと。その土地土地で必要とされることは違います。自分の事・地域の事・世界の事を考えた時に、その地域で生きる人たちと化学変化を起こして、そこに必要な必然が紡ぎ出される。それをどう形にしていけるかが重要なんです。」
AManTOグループで18年間流通している地域通貨「マント」。「お金の最大の問題点は“腐らない”こと」とだと言うJunさん。2種類の地域通貨を取り入れることで、都会の中でも共同体で助け合う仕組みが見える化し、生活費が抑えられ、持続可能な暮らし方が実現できるという。
お金だけではない利益の循環
「AManTOグループですべてに共通しているのは、『自分の事・地域の事・世界の事に同時に取り組む』ことと『自分の事を宣伝しない』こと。広告宣伝費はかけた経費の分の循環は生み出しません。だから僕らは自分の事にお金をかけてまで宣伝をしないんです。 例えば、地域の祭りで困っていたらそっちを手伝うとか、電球が替えられないなら替えてあげるとか、そんなことを繰り返していると、あいつの所にお茶飲みに行ってやろうってなって、カフェに人が来るようになります。
じゃあ、中崎町として何をするかと言うと、周囲の町の取り組みを助けてあげるんです。それを区でやり、市でやり、国でやる。実際、韓国の支援活動をしていたら、年間20団体以上の韓国の行政の人たちが中崎町に視察に来るようになりました。形は同じで、対象にする規模が違うだけなんです。」
タイムスリップしたかのようなレトロであたたかみのある長屋の廊下。一歩外に出れば、超 高層マンションがそびえ立ち、ここが大都市であることを思い出させる。
世界や地球の問題にまず目を向けてしまうと、話が大きく複雑で、自分の非力さにさいなまれたことがある人もいるだろう。社会や世界の問題に取り組む団体のメンバーの中には、家庭を顧みずに活動に専念してしまい、素晴らしい活動なのに家庭はボロボロ、という話もある。自分も地域も世界も笑顔になれるならそれに越したことはない。
短期的な事業計画のような時間軸で考え、目に見えてわかりやすい「お金」という指標だけで「利益の循環」を捉えると、「広告にお金をかけない」「自分の事ではなく地域の事にまず協力する」という行動は理解できない。しかし、Junさんの言う、人と人の心の中で起こる化学反応が目に見える形になって現れた時、それは確実に「お金だけではない、生きていく上で必要な利益」となる。
「自分の夢は持ち続けながらも、人や地域の役に立つことを全うすることで、結果的に自分に必要な形の利益となって返ってくる」と行動する都市型縄文人は、仕事とプライベート、ビジネスと奉仕活動という枠のグラデーションの中で生きている。平成から令和への節目の今、新しい時代を担う生き方がここに示されているような気がした。
2018年12月取材:「暮らしの発酵通信」9号掲載