「この地この水」が醸す酒:青島酒造㈱
日本酒の主原料は米と水。そのうち、水の割合は80%にもなる。日本酒にとっての「水」の役割はとても大きい。 静岡県は日本有数の山脈を源流とする4つの大きな川が北から南に流れる銘水の宝庫。人の体も60%が水。この土地が育んた水が人を育て、稲を育て、酒を醸し、地域が繋がる。
地域の宝が醸す「喜久醉(きくよい)」
コックを開くと流れ出てくるあふれんばかりの美しい水。当たりが滑らかで柔らかい。南アルプスを源流とする大井川の伏流水であるこの水は、年間を通して水質・水量・水温が安定しているという。
「ここで酒づくりが続けられるのはこの水があってこそ。この地域の宝です。水は自然の恵で人間が作ることはできませんからね。地下からくみ上げているだけなのに、これだけ良質な水があるのは全国的に見ても珍しいんです。この水の優しさが喜久醉の特長によく表れています。」
以前はニューヨークで働いていた青島孝専務。世界を見たからこそ、「ここでしかできない酒づくり」を極める。
そう話すのは、藤枝市で代々続く青島酒造の5代目青島孝さん。蔵元杜氏として青島酒造の銘酒「喜久醉」をつくり続けている。喜久醉を例えるなら、「クラスの中では目立たないけれど、その子がいるとほっとする、一生付き合っていきたい友達」。
軽やかで酸味が少なく、舌あたりのよい味は「静岡型」と呼ばれる吟醸酒の特長が存分に発揮されている。 「静岡県は今でこそ、吟醸王国と呼ばれるほど日本酒業界の中での知名度が高まりましたが、かつては全く見向きもされていませんでした。
それをここまでのし上げたのは、河村傳兵衛(でんべえ)先生の功績によるものです。 河村先生は県の工業技術支援センター技監として、静岡の酒の地位を高めようと、日々研究と実践を積み重ねている方でした。先生が静岡酵母(※)を発見し、その酵母が活きる酒づくりを開発したことによって静岡の酒蔵は吟醸酒がうまくつくれるようになり、全国的にも評価が高まるようになりました。
私も河村先生にご指導いただいた一人で、杜氏名も先生のお名前の一字をいただいて『傳三郎』と名乗っています。河村流を先生から直接伝授され、そのまま継承しているのは、全国で私を含め2人しかいません。 先生の持論は『酒づくりは洗いに始まり洗いに終わる』。精米後の米の洗い方と酒を搾る前の酒袋の洗い方によって、酒の味は決まる、というのです。
ひとつ例を挙げると、うちでは酒袋を約3週間かけて水だけで洗います。洗剤を使えば3〜4日で済むけれど、それはしません。水だけで完璧に洗った酒袋で搾ると、搾る前よりも香りが立つ酒ができるんです。時間も手間もかかるけど、酒袋はお酒が生まれてくるところなので、いい子が生まれるためには大切なこと。酒袋を洗うためにも水が大量に必要で、そういう意味でも、この水がないと、喜久醉はつくれません。」 ※静岡酵母とは、静岡県工業技術研究所の故河村傳兵衛氏が開発したお酒をつくるための酵母。
日本酒はお米の削り方によって純米大吟醸、純米酒などと名称が分かれる。お米の周りを削れば削るほど、扱いが難しくなる。米を洗う時間、蒸す時間は五感を研ぎ澄まし、失敗の許されない秒単位の作業(奥から玄米、50%、40%まで周りを精米したもの)。
ニューヨークでのファンドマネージャーから杜氏への転身
青島さんが傳三郎として杜氏になったのは今から14年前。実家である青島酒造に戻ってきて8年後のことだった。実は、青島さんの前職は投資顧問会社のファンドマネージャー。ニューヨークで機関投資家の資産運用に携わり、資本主義経済の最先端を経験した。
「幼いころから蔵の様子を見ていて、冬は朝早いし休みないし、後を継ぐ気は全くありませんでした。父親も自分の代で青島酒造に幕を下ろすことを決めていたから、好きなことをしなさい、と快く外に出してくれました。東京の大学に行き、学生時代は海外を放浪し、就職はアメリカへ。外へ外へ目が向いていたので、ニューヨークに行った時は、逃げ切った!と思っていましたね。
そこでの世界は完全なる個人プレイ。自分の能力を大きく見せてヘッドハンティングされて転職して、給料が倍々になる世界でした。ある日、体調を崩して1週間くらい休んだ時がありました。私より優秀な人が来て、仕事には全く支障がなかったんです。その時に、自分の存在価値って何なんだろうと思いました。それと、評価されていた人をよく見ると、その周りにはその人を陰で支えている人がたくさんいて、でも、成果はその人一人が持っていくという構図が見えるようにもなってきました。
みんなで一つのものを作って成果を出して、それを受け取った人が喜ぶという世界じゃないと嫌になる、私が大切だと思うものはお金では手に入らないな、と思ったんです。 そうした目で日本を見ると、里山の暮らし方とか宮大工とか、日本は何百年も先の子孫を見据えてコツコツとみんなでひとつのものを作り上げている国だと思いました。とても誇らしくなったと同時に、あれ?実家の酒づくりも一緒じゃない?って気づいてしまったんですよね。もう、そうなったらいてもたってもいられなくなって、転職先もキャンセルして帰ってきてしまいました(笑)。」
青島さんが家業を継がなければ、取り外されていたかもしれない看板(右)
30代半ば、金融業界から酒づくりへの転身だった。帰国した翌月、喜久醉松下米の米を作っている松下明弘さんの稲刈りを手伝いに行った青島さん。その時の光景は一生忘れられないという。
「一面に広がる山田錦が風になびく音、稲の香り、黄金色と青空のコントラスト。五感全てにすっと入ってきたんです。この地で生きていくんだな、と心が定まり、なんの迷いもなくなりました。 今一緒に働いているのは、喜久醉に惚れ込んだメンバーばかりなんです。何度も断ったのに、それでも来たい、喜久醉の酒づくりに一生関わりたい、と言って一家そろって移住して来た人もいます。喜久醉が引き寄せてくれた“ドリームチーム”です。」
全てが「喜久醉」に繋がるという喜びの下働く蔵人たち
この土地の水、米、酵母、技、人で醸す酒
青島さんが杜氏になった時の目標は「杜氏が変ったことに気づかれないこと」だった。頑なまでに喜久醉の味を継承した。それは、青島酒造を守り抜いてきてくれたご両親、杜氏、蔵人たちへの敬意の表れでもあり、「この土地でしかつくれぬ酒」へのこだわりだった。 「青島酒造は、新商品は出ないし季節商品もない。商品数も減らしていく方向にあります。つくる酒の種類を減らすことで、お酒ごとに捧げる時間を増やし、品質の安定を追求するためです。
米も麹菌も酵母も水もすべてが生きています。生きているからこそ、自分たちがその変化に合わせて進化していかなければ、喜久醉の味は保たれません。この土地の米、水、酵母、技、人を最大限に活かした結晶が喜久醉なんです。 『この土地ならでは』を探求している意味では、私はこの地域に伝わってきた志太流の最後の伝承者でもあります。新潟や岩手の杜氏と違い、静岡の志太杜氏は温暖な気候の中での酒づくりのノウハウを確立してきました。
河村先生も志太流の流れを受けていますが、その進化系。河村流で杜氏の免許皆伝をいただいた後に志太流の杜氏さんを探したけれど、現役の方はおらず、引退された方に教えを請い、7年かけて志太杜氏としての免許皆伝を受けました。 喜久醉の中で『吟醸』と名の付くものは河村流で、本醸造や純米酒は志太流でつくっています。志太流を踏襲することで品質が安定したし、この土地でしかできない、この土地に合った酒づくりであることを確信しました。」
水の優しさと青島さんの人柄を感じられる喜久醉。自己主張しすぎない味と香りは、食事を主役に引き立てる名脇役。
「杜氏として、経営者として20年間修業してきて、今やっと色んな意味で心に余裕ができるようになってきました。うちで働いているメンバーは、喜久醉に惚れて集まった面々。
夏は米づくり、冬は酒づくりがしたいという素晴らしいチームです。今は他県から仕入れている酒米もありますが、彼らと農家さんと一体になって、少しでも多くこの地の酒米にしていくのが次の目標です。」 コンピューターの中で動く金の世界、五感を研ぎ澄まして育てる菌の世界、その両極を知っている青島さんだからこそ日本の良さ、地のものの良さを語る言葉には説得力がある。喜久醉が「究極の【地】酒」になるのもそう遠くない。
colum:静岡仕込みのおいしい水とお酒のいい関係
南アルプス、富士山などの日本を代表する山脈が連なり、そこから天竜川、大井川など多くの一級河川が流れ込む静岡県。恵まれた降水と川から流れ入る水が、大地の天然ろ過システムによって適度なミネラル分を含む、おいしい軟水へと育まれている。
日本酒づくりにおいて、米をお酒に変える主役の「酵母」は硬水でよく働くものが多い。軟水による酒づくりは発酵がゆっくりと進み、その発酵の停滞を招かないように高い技術が必要とされているものの、なめらかで香り高い吟醸酒をつくり出すことができる。
colum:静岡酵母の父 河村傳兵衛 氏
静岡県を「吟醸王国」とならしめた
昭和30年代、70以上もの酒蔵があった静岡県。しかし、高度経済成長期は、大手酒造メーカーの酒が人気を博し、多くの蔵が廃業へと追い込まれることに。
加えて、静岡県は温暖な気候のため、酒を絞った直後の味と、店頭に並んだ時の味の変化(劣化)が大きく、品質的にも決して良いものではなかった。 そんな時代に、静岡の酒づくりを守るため、県内の酒蔵を巡り、指導に明け暮れていたのが静岡県工業技術研究所の故河村傳兵衛氏。河村氏が「静岡酵母」を開発したことにより、静岡県は「吟醸王国」と呼ばれるほど評価の高い酒づくりができるようになった。静岡酵母で醸したお酒は「静岡吟醸」と呼ばれ、「フルーティで飲み飽きせず、雑味のない綺麗な酒」と高い評価を得ている。
全国の地酒も変えた
河村氏が「静岡酵母」を生み出すまで、品評会で評価が高い日本酒は、日本醸造協会が開発した「協会酵母」と呼ばれる酵母を使った大吟醸酒が主流だった。 昭和61年の「全国新酒鑑評会」に静岡県内から21の蔵が出品し、17蔵が入賞、内10蔵が金賞を受賞したことで、静岡の酒は一躍注目を浴びることに。全国的には無名だった静岡の地酒が、金賞の1割近くを占めるという快挙を成し遂げたのである。
日本酒業界に旋風を巻き起こしたこの出来事は、新たな地酒開発の火種となった。都道府県単位での酵母開発が考えられなかった時代に衝撃を与え、各都道府県が独自の酵母開発へと乗り出した。
「静岡の酒を何とかしよう」という河村氏の情熱は、全国の「【地】酒」の活性化へと広がっていった。 河村氏から免許皆伝を受け、酒づくりを続けている蔵元杜氏は青島孝さんを含めて現在2名。「河村傳兵衛流で仕込んだ青島酒造の酒が評価されることで、河村先生に恩返しができる」と青島さんは言う。日本酒の歴史の一幕を担った河村傳兵衛氏の功績は、想いと技術を継承した青島さんの手によって、次の歴史に刻まれていく。
2018年9月取材:「暮らしの発酵通信」8号掲載
- 住所
- 静岡県藤枝市上青島246
- TEL
- 054-641-5533
- その他
- ※直販はしておりません。酒販店もしくはインターネットにてご購入いただけます。