着物が教えてくれること

無重力着付け®という一風変わった着付け教室を開催している田中千衣子さん。着物を着て健康になる?人生が変わる??…そんな不思議な体験談が飛び交う講座に全国から受講生が集まっている。

株式会社鞠小路(まりこうじ)スタイル 代表 
田中千衣子(ちえこ)さん
着物に縁がないまま育ち外国語大学でロシア語を学ぶ。1995年にモスクワへ留学し、 帰国後に着物をはじめとした日本文化の素晴らしさに目覚める。 京都を拠点に全国各地で無重力着付け講座を開催し、日々の暮らしの中で着物を着るライフスタイルを提案している。

1着500円の着物からスタート

私は今、無重力着付けを通して「着物も和文化もすごい」と伝えてますが、元々は海外に行きたくて仕方がない人でした。海外に行って異文化を感じることが好きなんです。でも、海外に行くと逆に「日本の文化って何だろう?全然知らない」と思うんですよね。それから神社や仏閣を巡ったりして日本文化を感じていきました。

日本文化に興味が出てきた頃に、友人が3ヶ月無料の着付け講座に行くから骨董市で着物を買いに行くと言うので一緒に行きました。その時に、1着500円くらいで着物が売っていたから2~3着買って着付け講座に行きました。

最初は着物を着られるだけで楽しかったんですが、周りで着物を着ている人を見るとキレイに着ている人とそうではない人の違いが気になってきて、色々模索し始めました。

上手に着られる方法を探るんだけれど、キレイに整えるための小道具を勧められたり、着付けの手順は教えてくれても「なぜその手順になっているのか?」は教えてもらえず、疑問は解けませんでした。

着物は楽で当たり前

私はロシアが好きなんだけれど、ロシアって装飾がすごく美しいのにトイレのドアのカギがずれていて閉まらないとか、壁掛けの電話が傾いているとか、なんか詰めが甘いんですよ(笑)。日本に来たロシア人が、日本のカフェの椅子の足の幅に荷物入れのかごがぴったりはまることに感動していましたが、日本人からしたら普通すぎて「そんなことで感動するの?」と逆に驚きますよね。

そうした文化の違いを見ていくと、日本の文化の中には日本人にとって当たり前すぎて気づかない、緻密な日本の知恵や技術が詰まっているんじゃないかと思いました。そういう視点で着物を見た時に、着付けの手順ではなく着物の仕組みに注目しました。

例えば、右側のおはしょりがぶかぶかになる問題があるけれど、一枚の布なんだから反対側を引けばキレイに収まるんです。自分で着付けを教えるようになって、今まで手順だけを考えて着ていた人に着物の構造から伝えると目からウロコだったようで、わかりやすいと評判になり徐々に生徒さんが増えていきました。

講座では着物の着方だけではなく、身体の使い方などの深い話も。

着付け教室の生徒さんからは「着物を着ていると気持ちがいい!」「体が軽い!」と言われました。着付けをしている時はその人の身体にピッタリくる部分を見つけて着させてあげていたんですが、オーダーメイドの服がその人の体型に合わせてつくられるから心地がいいのと同じように、その人の身体に着物をフィットさせることで「気持ちいい」という感覚になるということが分かりました。

「着物を着ているのに何も着ていないように身体が軽い」という生徒さんたちの声から、〈無重力着付け®〉という名前で着付けをするようになりました。

「着物は苦しくて動きにくいのが当たり前」と思っていませんか?でも、明治維新がくるまで日本人は24時間365日ずっと着物を着ていました。家事も畑仕事も寝る時も着物だったので苦しくて動きにくかったら、とうの昔に廃れているはずですよね。「着物は苦しい」ではなく「着物は楽で当たり前」ということをみなさんに体感してもらいたいです。

知的好奇心を満たすものから文化へ

着物って、よっぽど着物が好きな人しか続かないんですよね。好きであっても子どもが生まれたり忙しくなったり職場には着ていけなかったりで続かない。「誰かに見せるために着るもの・ファッション」の枠から抜けきれないんです。でも、このままだと着物が日本の文化として無くなってしまうという危機感がありました。

そうした中でふと「家で着ればいいやん」と思いついたんです。日常的に家の中で着ることが文化の土台になるし、着ているだけで身体が整うと感じられたら着物を着るようになる人も増えるかもしれないと思いました。実際、無重力着付けの生徒さんでも「友だちが無重力着付けに行ってその後調子が良さそうにしていました。私は着物に全く興味がなかったけれど、体調を崩した時に『そうだ、無重力着付けに行こう』と思って来ました」という方もいました(笑)。

「家で着るならどんな柄がいいかな?どんな布が心地良いかな?」と考えるようになり、そこから着物の販売を本格的に始めました。そうしたらコロナが来て「リモートだから家で着物が着られる!」という声が上がり、家の中で着物を着るという生活が一気に広がりました。

「家で着る心地よさ」を求めてたどり着いた着物の数々

皆さん、掃除、洗濯、買い物、運転、料理や授乳だって着物でこなしています。無重力着付けでは浴衣で寝ることを推奨していて、下手に高級な寝具をそろえるよりも浴衣で寝る方が身体が整うんじゃないかと思っています。人生の約1/3は寝ている時間なので、その間に身体に良い影響を与えたほうがいいですよね。

着物で寝ると、寝ている間に身体を整えてくれるような感じがする。

洋の動きと和の動き

着付けを教えている中で「ここさえ抑えれば気持ちよく着られる」というポイントが分かったんですが、それを伝えても全く理解してもらえませんでした。なぜ理解ができないのかを観察していると「そもそも洋服からくる〈洋の動き〉で着物を着ているからだ」ということに気づきました。

例えば、お箸と茶碗を持って食べる時に脇を締めて食べますよね。でも、ナイフとフォークを使う時はどうですか?脇が空きますよね。引き戸の開け閉めは脇を締めてもできますが、ドアの開閉は脇が開きますよね?日本語で「脇が甘い」という表現があります。

相撲では脇が開いていると相手にまわしを取られて負けてしまうことからきている言葉で、脇を締めれば最小限の力で最大限の能力を発揮することができます。余計な力を使わないから楽に動けるし疲れにくいですよね。柔をもって剛を制す、という柔道の考え方も一緒です。

脇を締めた動きをしていると着物の袖が邪魔になることはありません。着物の形が私たちに〈和の動き〉を自然と教えてくれます。着物が着崩れてしまうのも、洋の動きをしているからです。

無重力着付けの生徒さんで「日本の女性らしい美しい所作のレッスンを受けたことがありますが、着物を着ていると自然にそういう動きになることが分かりました」という方がいました。もっと言うと、和の動きをしていると和の考え方にもなってくるんですよ。そうしたことも講座でお伝えしています。

着物はすばらしく良くできていて、日本人の生き方や知恵が詰まっている叡智の塊なんですよね。無重力着付けを実践している方たちは「いつも通りに着物を着て動いていても、袖をひっかけたり裾を踏んだりしてしまう時って、自分では認識できていないけれど身体が疲れているんだなと教えてもらえます」とか、「一枚の布に包まれている安心感があってイライラすることが減りました」という発見の声をもらいます。

暮らしの中で着物を着ていると、自分の心や身体の状態など多くのことを教えてくれます。無重力着付けを通して、着物が教えてくれることを伝えていきながら、着物を日常で着る楽しさや快適さをたくさんの人に経験してもらいたいです。

Information
無重力着付け®

この記事を書いた人

里菌 かこ
「暮らしの発酵通信」ライター/発酵ライフアドバイザーPRO.

EM生活㈱に10年勤め、農業・健康・環境などあらゆる分野での微生物の可能性について全国各地を取材し、EM業界紙に掲載。発酵ライフアドバイザーPRO.の資格を取得し、発酵食品についても広く理解を深める。ライティングだけではなく、ワークショップ講師やイベント企画も務める。

掲載号
この記事は "暮らしの発酵通信" Vol.21 に掲載されています。
最新号を無料でお届けします!
関連記事