変化自在な土と生き方
沖縄県北中城村の焼物工房〈仁陶器工房〉を営む伊達政仁さん。自由な生き方を求めて沖縄の陶芸家になった。数々の挫折を経験しながら、今は自分の信じる道を一直線に進んでいる。
憧れの生き方を求めて陶芸家の道へ
「叔父が栃木県の益子町で陶芸家をしていました。叔父は『今からこの陶器を民芸店に売りに行って、そのお金で北海道に釣りに行くんだ』と言っていたんです。その言葉が当時高校生だった自分にとってはすごく衝撃的でした。仕事をしながらそんな自由な生き方ができるのか!と。僕の父親は銀行員だったから毎日決まった時間に家を出て同じ時間に帰ってきました。その姿を見ていて、自分はサラリーマンには向いていないと思ったし、叔父のように自分の好きな仕事で時間も自由なライフスタイルに憧れました。
僕が最初にやろうと思った工芸品は、作る人・塗る人と分業だったので、最初から最後まで自分の手で完成させられる焼物に魅力を感じました。
1年陶芸の学校に通った後、3年ほど益子で陶芸をして暮らしていました。30歳くらいで独立できたらいいなと考えていたので、研修のために全国の焼物産地を巡りました。」
仁陶器工房:伊達政仁さん
1970年埼玉県生まれ、北中城村在住。栃木県益子町の窯業指導所にて1年間勉強し、益子の工房で3年間修行。その後、沖縄県に移住、6年間壺屋焼を学ぶ。2000年に北中城村にて独立、築窯。村内図書館、病院デイケア等で講師として活躍。伝統工芸新作展入賞(1993年)。優しい色合いで暮らしの一部に溶け込む日常雑器を得意とする。
自由なライフスタイルに憧れて陶芸の道を選んだ伊達さん。全国の焼物の産地を訪れて気づいたのは、焼物は産地ごとに大きな差はないということだった。そんな中、沖縄にも焼物があることを知り24歳の時に単身沖縄へ。友人の紹介で壺屋出身の陶芸家さんを訪ねた。
「僕がお世話になり始めたのと同時期に、師匠はいくつかの場所で陶芸教室を始めていました。だから土日も関係なく働きっぱなし。陶芸教室を学ぶためではなく師匠の技を学びたいと思っていたのに、なんでこんなことになってるんだ?と悩みながら忙しい日々を過ごしていました。毎日本当に大変だったけれど、あの経験があったからこそ今があると思っています。ある程度学んだら益子に戻る予定でしたが、当時、益子では陶器の売れ行きがあまり良くないと言われ、そのまま独立して沖縄で工房を構えました。
陶芸から一度去って気づいた生き方
工房を構えてもすぐに作品が売れるわけではない。仕事をいくつか掛け持ちしながら、空いた時間で作品を販売して生活する日々を過ごしていた。
「独立して9年目に、あるきっかけで業者とトラブルを起こしてしまい、心身ともに疲れてしまったことがありました。妻は僕が陶芸をやめるのを反対したんですが、妻の実家がある山形に引っ越すことにしました。そこで最初はクリーニング屋に勤めたんです。ルート配送で雇われたんだけど、当日仕上がりをうたっているタイプのクリーニング屋だったから、配送を急がないといけないけど雪道は危なくて怖いし、サービス残業が多くて休みもほとんどなかったからすぐに辞めて、今度は車のディーラーに転職して営業を始めました。
月何台というノルマがあったんですが、車なんてそう簡単に売れるもんじゃありません。何ヶ月か頑張ってみましたが、やはり自分には営業の仕事が合っていないから辞めようと決めたら、逆に辞める頃になって売り上げが伸びたんです。
ノルマ達成のためではなく、お客さんが何を求めているかを考える余裕が自分に出てきていたからなんですよね。会社にもう少し自分を見てもらいたい気持ちもありましたが、やはり陶芸の道に未練があったので辞める意志は変わりませんでした。」
挫折を経験したからこそ今がある
「そんな生活を繰り返していたら、妻が『沖縄に戻ってまた陶芸を始めたら?』と言ってくれました。妻とは作品が売れない頃に出逢っていて、貧乏でもずっと一緒にいてくれました。本当に感謝しています。
沖縄を離れてから1年も経っていませんでしたが、心機一転、もう一度やってみよう!と、沖縄に戻ってきました。新たにスタートするのだから、陶器の表面に塗るうわぐすりを自分で作ったり陶芸教室を開いてみたり、今までやっていなかったことに挑戦しました。買い手が何を求めているのかを意識すると売上につながる、ということを車の販売で学んだので、陶器を買うお客さんは昔と違って女性が多くなってきたことを考えると、女性目線で色や形にこだわるようになっていきました。そうしたら少しずつ作品が売れるようになっていって、それが自分の自信になっていきました。
キラキラと宝石のような雫がしたたるカップ。「焼き上がるまでどの程度したたり落ちるのかわからないんです。難しいけどおもしろい技法です」と伊達さん。
作品の良し悪しは自分で決めるものではなく、買ってもらうことで初めて評価されます。周りに認めてもらえたことが実感できると、迷いが少なくなってきて挑戦する勇気が湧いてくるんですよね。今はどんなことにも向かっていけるような気がします。失敗していいと思うし、どんどんチャレンジすればいい。回り道もすればいい。失敗という経験の積み重ねが人生のプラスになるのだから。
これまでの人生でいろんな挫折を経験したおかげで陶芸も自分自身も見つめ直すことができ、今があります。今は自分のペースを大事にしながら、焼物を続けたり人に教えるということで自分の人生を一直線に突き抜けていこうと思っています。」
色んな生き方や働き方があっていい
伊達さんは県内の精神疾患を持った方の病院や少年院などでも陶芸教室を開催。少年院では陶芸を通して生き方を伝えている。
「僕は陶芸を通してギャンブル依存症、アルコール依存症、非行少年、色んな人と出逢う機会があります。少年院の子どもたちは飲み込みが早く、心の変化も大きいですね。『ここを出たら先生の工房で働きたい』と嬉しいことを言ってくれた子もいます。
僕が少年たちに伝えたいのは陶芸の素晴らしさだけではなく、雇われるだけが生きる道じゃない、手に職をつければ、学歴も関係なく自分で食べていけるようになれるかもしれないよ、ということです。色んな経験をしてきた僕だからこそ伝えられることがあると思っています。
そりゃあ、自営でやっていくのは楽じゃないですよ。自分が動かないと収入にならないんだから。収入が多い月もあれば、極端に少ない月もあってバラバラ。もっとイベントに出店したりして営業したら売上げは上がるだろうけれど、あまり時間に追われたくないので、ずっと注文で忙しくするよりは、その時に作りたい物を作って楽しく仕事ができたら良いと思っています。2年先まで予約がいっぱい!になって、あくせく作るのは僕には合わないんです。お金を稼ぐというよりも、自分の時間を大切にしながら好きなことで収入を得ていく。このスタイルが自分は好きなんです。」
土はろくろの上で自在に形を変える。失敗しても形を整えることができる。その先にある理想の形があれば、何度でも何度でもやり直すことができる。『失敗しても回り道をしても、自分を信じ続けることができれば理想の生き方を実現できる』という伊達さんのスタンスは、土と生きる陶芸家だからこそ心に深く響くメッセージだ。
2024年2月取材
\伊達さんの工房で焼物体験ができます/