氷見の宝物〈こんかいわし〉
富山県氷見(ひみ)市に伝わる鰯のぬか漬け〈こんかいわし〉。〈こんかいわし〉が仕込まれている小さな木桶の中には、氷見の歴史や伝統、文化、智恵などの宝物が詰まっていた。
氷見の経済を支えてきた〈氷見鰯〉
四方を海に囲まれた日本には3000〜4500種もの魚類が生息しており、魚を利用した発酵食品が多く発達してきた。秋田県のハタハタを使った魚醤〈しょっつる〉、伊豆大島の魚の干物〈くさや〉、滋賀県の琵琶湖で獲れる鮒を使った〈鮒ずし〉、全国的には鰹の内臓を使った塩辛〈酒盗〉や鮎の内臓を使った〈うるか〉など様々な種類がある。
冷蔵庫が無く、流通も発展していなかった時代に魚の腐敗を防ぐために塩漬けが始まり、その保存性とおいしさが塩漬けによる発酵食品文化を各地に根付かせた。新鮮な魚介が手に入りにくかった山村地域では、塩漬けされた魚を米や米ぬかに漬け込むことでさらに保存性を高めた発酵食品が発達した。
富山県氷見市では、鰯のぬか漬け〈こんかいわし〉が伝統的な発酵食品として親しまれている。氷見市は富山県北西部に位置しており、東側は富山湾に面し、三方は山並みが走る自然豊かな地域。富山湾は「天然のいけす」と呼ばれるほど豊かな漁場で、中でも氷見漁港で冬に水揚げされる〈ひみ寒ぶり〉はあまりにも有名だ。
山と海が近い氷見漁港
実は、〈ひみ寒ぶり〉よりも長らく氷見の経済を支えてきたのが〈氷見鰯〉。氷見で獲れた鰯を干した〈干鰯(ひいわし)〉は安政年間(1850年代)の書物『応響雑記』に記載されており、すでに江戸に名を轟かせるブランドとなっていた。鰯の不漁が続くと氷見の漁師が困窮していた様子も書かれていて、鰯漁が生活を左右するほど重要な収入資源であったことがうかがえる。現代では〈氷見鰯〉は昭和年に発刊された『広辞苑』の第一版にも掲載されている。
桶の中には氷見の大切なものがいっぱい
氷見市が発祥の越中式定置網漁は、江戸時代から伝わり約400年の歴史がある。海に網を沈めて魚が来るのをひたすら待つ漁法で、大きな魚を狙う時は大きい網目の網を使い、小さな魚の時は小さい網目の網を使う。一度魚が入っても網から出ていくことができ、最終的に捕獲するのは網に入った魚の3割程度で魚を獲りすぎることがない。持続可能な漁法として世界からも注目され、農林水産省の日本農業遺産に認定されている。
有限会社柿太水産 柿谷政希子さん
そんな伝統的な漁を続ける氷見の漁業。氷見漁港から車で5分ほどの距離に加工場を構える有限会社柿太水産では、氷見の良質な鰯をぬか漬けにした〈こんかいわし〉を100年ほど作り続けている。6代目となる柿谷政希子さんは〈こんかいわし〉の木桶の中に、氷見の伝統・文化・歴史、そして昔ながらの智恵のすべてが詰まっているという。
「こんかいわしの材料は、鰯と米ぬかと米麹と塩と唐辛子です。氷見漁港で水揚げされた新鮮な鰯の頭と内臓を取り除き、10日間ほど塩漬けをしてから米ぬか・米麹・唐辛子を合わせたぬか床に半年ほど漬け込みます。鰯と米ぬかを木桶の中に何層にも重ねていき、最後に幅広に編んだ縄で内蓋をして、木の蓋をしてから重石をのせます。
この縄を見てください。稲わらで作られているんですよ。昔は定置網で漁をするときの網も稲わらを編んだものが使用されていたそうです。そして古くなった網はそのまま海に沈めてプランクトンのエサになっていました。海の生態系を守る上でも重要な役割を果たしていたそうです。
木桶の内蓋として三つ編み状に編まれた稲わら。柿谷水産では現在も稲わらを使用し、菌が喜ぶ環境づくりをしている。
氷見市はとても海と山が近い地形をしています。海から山まで10㎞くらいかな。昔は木造の船で海と山を行き来していて、山で採れたお米や藁と、海で獲れた魚を物々交換していました。米と藁と魚と塩、そして農村と漁村の交流や伝統漁法この小さな木桶の中に氷見の大切なものがいっぱい詰まっているんです。」
菌が元氣で重石が落ちちゃう
「こんかいわしの漬け込みにプラスチック容器を使用していた時代もありましたが、近所の味噌屋さんが廃業される折に木桶を譲り受けました。切り替え当初は、木桶は衛生上どうなんだろう?とふと疑問に思いましたが、滋賀県で作られている鮒ずしも木桶が使われているし、発酵学の第一人者である小泉武夫先生からは『味噌蔵に棲みついていた菌と柿太水産に棲みついている菌は、木桶だからこそ生き続けることができて、悪い菌が来ないようにしてくれます。木桶だからいいんです』とおっしゃっていただいたので自信が持てました。」
小さな木桶の上には中身と同じ重さの石が乗せられている。30㎏もある重さでも、夏場は発酵によって発生したガスが重石を持ち上げ、バランスを崩して上の重石が転げ落ちていることがあるそう。
仕込みを終えたこんかいわしは木桶の中で半年間ゆっくりと育っていく。
「冬に仕込んだこんかいわしは、その後半年間見守っていきます。暖かくなると菌が元氣になってきてガスが発生するんですが、そのガスの力で重石が浮き上がり、様子を見に行くと毎朝重石が転がっているんです。それを積み直すのが一番大変。代々続いた柿太水産のこんかいわしをずっと作り続けていきたいから、重石を少なくして作ることに挑戦してみました。そうしたら、今までのものよりもふわっとした食感のこんかいわしができました。
今は私が6代目を継いでいますが、5代目である父もまだ現役で漁港に鰯を買い付けに行って仕込みもしています。同じ材料で同じ日に同じ場所で仕込んでも、父が仕込んだものと私が仕込んだものでは味が変わるので面白いんです。お好みで選んでいただけるように、今販売しているもので私が仕込んだものには赤いシールを貼っています。」
左が5代目作。右の赤いシールが貼ってあるものが6代目政希子さん作。味や食感の違いを感じるのも楽しい。
和製アンチョビ〈こんかいわし〉
原材料は柿谷さんがおいしい!と思ったものをセレクトし、特に「仕入れ先との顔の見える関係」を大切にしている。塩漬けには能登の塩を使用し、富山県内の米農家から直接仕入れた新鮮な米ぬかと氷見の麹屋で作られたできたての米麹、そして自家栽培の唐辛子だ。
一般的にぬか漬けでは米麹は使用しないが、北陸には〈かぶらずし〉という米麹を使ったカブとブリの伝統的な発酵食品があり、それをヒントに先代が始めた。
米麹を使用することで味がまろやかになり、発酵促進にもなる。もちろん、酸化防止剤や保存料、アミノ酸などの化学調味料も一切使用していない。せっかくのこだわりの材料なのだから、米糠も洗わずにまるごといただきたい。
アンチョビの様に使えばバリエーションが広がる!
「こんかいわしはそのままスライスして食べられますが、少し炙って食べるのがおススメです。アンチョビと同じように考えると、料理の幅が広がりますよ。特に、オリーブオイルとの相性は抜群です。こんかいわしについている糠ももちろん食べられます。軽く煎ってふりかけにしたり、スープをつくる時のコンソメ代わりに使うこともできます。炒め物を作る時の調味料としても使えますよ。」と、試食に出してくださったのは、スライスした〈こんかいわし〉と刻んだ小口ネギを乗せたバゲット。〈こんかいわし〉のうま味と香りにネギの爽やかな風味が合わさり、オリーブオイルをひとかけしたら、まさに和製アンチョビの一口おつまみになる。
もちろん、王道の食べ方は、ホカホカご飯に薄くスライスしたこんかいわしをのせて。
全国にはサバで仕込む〈へしこ(福井県)〉やサンマで仕込む〈糠さんま(北海道)〉など、青魚を利用した魚のぬか漬けがある。〈こんかいわし〉の良いところは骨ごと食べられるところだ。
「鰯はそもそも栄養価が高い魚だし、骨ごと食べられるのでカルシウム補給にもなります。乳酸菌の酸でミネラルの吸収も高まるし、米ぬかにもビタミンがたくさんあります。父は今80代ですがピンピンしていて他の80代の方より体が丈夫なのはこんかいわしを食べ続けているからかもしれませんね。」
80代にはとても見えないお元気な5代目柿谷正成さん。見事な手さばきで魚をさばいていく。
そうお話くださる柿谷さんもお肌がつやつや。おいしさと伝統を守る氷見の〈こんかいわし〉は海と山と人をきときと(※)にしてくれる。
※「きときと」は氷見弁で「新鮮・いきいき」の意味
柿太水産のこんかいわしができるまで
発酵パワーでうま味倍増!こんかいわしのジャーマンポテト
気になりがちなジャガイモの糖質もビタミンB群豊富な米ぬかと合わせて摂ることで体に溜め込みにくくなります。こんかいわしのうま味とジャガイモがよく合い、ニンニクとバターの香りがさらに食欲をそそるレシピです。
「暮らしの発酵通信」19号掲載(2023年9月取材)