じっくりとゆっくりと、時が育む琥珀の一滴。鹿児島の壺造り黒酢
真っ黒な壺の中には酸味とうま味が詰まった琥珀色のしずく。〈鹿児島の壺造り黒酢〉は霧島市福山町で米のみを原材料に江戸時代から造り続けられてきた。
壺酢、黒酢、香酢
農林水産省が定めた「食酢品質表示基準」によると、黒酢の正式名称は「米黒酢」。玄米を主な原料とし、米の使用量が穀物酢1Lにつき180g以上と定められているが、米以外に小麦や大麦の使用も認められている。発酵熟成期間に規定はない。
一方、中国の香酢はもち米を主原料とし、コーリャン(トウモロコシの一種)や小麦、緑豆などを使う場合がある。半年から数年かけて熟成させることで黒褐色の色となり、まろやかな酸味と豊かな香りになる。
鹿児島県霧島市福山町の黒酢は食酢の分類で言うと「米黒酢」に当たるが、味や香りは中国の香酢に近い。原材料に米と米麹以外は使用せず、一般的な米酢に比べて約5倍の米を使用している。屋外に並べられた壺の中に原料となる米と米麹を入れ、発酵に6ヶ月以上、さらに熟成に6ヶ月以上かけると特有の香りとまろやかな酸味を帯びた褐色の酢ができあがる。壺の中で仕込まれる酢ゆえに「壺酢」と呼ばれることがある。食酢品質表示基準には「壺酢」という分類はない。
年月を経ることで色が褐色から茶褐色へと変化していく。この色が「黒酢」と呼ばれる由縁。
一般的な米酢は米と米麹から日本酒を造り、そこに酢酸菌を加えて発酵させてタンクの中で熟成させていくが〈鹿児島の壺造り黒酢〉は玄米と米麹と水を壺の中に入れ、同じ容器の中でひたすら酢になるのを待つ。世界的に見てもとても珍しい酢の造り方だ。加熱や保温をすることなく、自然の気候任せでも発酵熟成が進むのは冬でも北風が当たらず温暖な気候に恵まれているからだろう。福山町では8つの会社が伝統製法を守りながら壺酢を造り続けている。
じっくりとゆっくりと、壺の中で酢ができるのを待つ。
健康への追求が生んだオーガニック黒酢
福山黒酢株式会社は創業約年の黒酢造りの中では比較的新しい会社だ。創業者である津曲泰作前社長は元々は建築関係の仕事をしていた。歳を迎えるにあたってより健康を意識するようになり、黒酢の健康効果に着目。初代黒酢杜氏である赤池力さんとの出逢いにより、福山町で黒酢の製造を開始した。
「福山町は江戸時代に武士の隠居先だったようで、そこの元武士たちが年貢の徴収を免れるために作った隠し田んぼがあったそうです。『隠し田んぼ』から転じた『角志田(かくいだ)』という地域があり、それが当社の黒酢『桷志田(かくいだ)』というブランド名の由来になっています。角志田にはこんこんと水が湧いていて、創業当初からその湧水を利用して黒酢を造っています。『志』を『い』と読むのは、鹿児島弁で『し』を『い』と発音することが多いからだと聞いています。『角』を『桷』にしたのは、その方が画数が良かったからだそうです。」
竹下義隆さんはご自身でも発酵の勉強をされ、商品開発に活かしている。
そうお話しくださったのは、福山黒酢㈱の執行役員であり研究開発室室長兼工場長の竹下義隆さん。福山黒酢㈱が造る黒酢の玄米はすべてオーガニック米を利用している。
「『健康への追求』が根幹にあるからでしょうね。創業当初は特別栽培米でしたが、徐々にオーガニック原料に切り替え、5年ほど前から出荷されている黒酢のすべてがオーガニック玄米を使用したものになりました。
当社の黒酢は3年以上熟成させたものしか出荷していません。『3年熟成』と商品には記載されていますが、『3年以上熟成』という方が本当は正しいです。年数をおくことで酸味がまろやかになって味わいも深みが増します。熟成に最低3年はかかるので、全量をオーガニック玄米に切り替えるのには時間がかかりました。」
福山黒酢(株)の原点。桷志田「有機」。まろやかな酸味とコクがクセになる。
和洋中からデザートまで
黒酢は私たちの体に欠かすことができないアミノ酸が含まれ、酸味の主成分である酢酸やクエン酸、ビタミンやミネラルも一般的な米酢より豊富。元気が欲しい時を始め、美容効果、健康維持、生活習慣対策など多くの健康効果が期待されている。黒酢を主原料にした健康食品を様々なメーカーが販売している。福山黒酢㈱では一般論としての黒酢の健康効果ではなく、『桷志田の黒酢』が健康にどう影響するのかを様々な学会を通して臨床実験を重ねている。
黒酢の健康効果がメディアで話題になった約年前、福山黒酢㈱では飲むだけではない黒酢の魅力を伝えたいと、2005年に日本初となる黒酢レストランをオープンした。黒酢レストランはオーガニック化も進めていて、自社で栽培したオーガニック野菜を利用したり、3年前からオーガニック認証を受けたランチコースも提供している。
和洋中からデザートまで、黒酢をふんだんに使用したレストラン。
天気が良ければ桜島や壺畑を臨める。
自社農場で栽培された野菜を使ったオーガニックランチも人気。
総料理長の中村誠治さんは霧島市の出身。和洋中様々なレストランを経験してきた上で黒酢の魅力をこう語る。
「霧島市は地元なので黒酢は生まれた時から知っていました。知ってはいたけど、日々の食事に取り入れていたかというとそうでもありませんでした。僕は高校を卒業してから京都で京懐石の店に勤めました。でも、和食だけではなく色々な料理を全部見てみたいと思い、霧島市に戻ってきてホテルで働きました。そこで出会った先輩方からジャンルを超えた色々な料理の楽しみ方を教えてもらいました。
黒酢レストランは最初、料理好きな前社長の奥様が料理を提供していましたが、人気が出てきてレストランを大きくすることになりました。そのタイミングで声をかけていただきこちらで働くようになりました。僕の地元なんだから、ここから黒酢の魅力を広めていきたいという想いもありましたね。
黒酢レストラン「黒酢の郷 桷志田」総料理長 中村誠治さん
最初は黒酢を料理に使うのは難しいなと思っていましたが、実際に和食や洋食、中華、デザートなど色んな技法で黒酢を使ってみたら、すごく可能性のある調味料だということに気づいたんです。酸味として使うのはもちろん、使い方によってはうま味を加えるということもできます。エビを洗う時に黒酢で洗うとプリッとするんですよ。こんな贅沢な使い方は他ではできないと思います(笑)。
こんな黒酢のすばらしさを家庭の中にもっと浸透できないかな?と考えて作ったのがこの『シェフの黒酢』です。食卓に醤油が置いてあるように、黒酢もいつも食卓にあることでいろんな料理に『ちょいがけ』してみてほしいと思いました。タバスコのような容器で一滴ずつ出てきて使いやすくなっています。黒酢で元気になってもらって、料理で笑顔になってもらえるように愛情を込めて作っています。」
中村シェフが「食卓に黒酢を」と考案したシェフの黒酢。
タバスコ容器のように一滴一滴と出てきて使いやすい。
さらなる黒酢の可能性へ
福山黒酢㈱では、黒酢の製造・レス トラン経営・農場運営にとどまらず、多様な黒酢の楽しみ方を伝えている。
レ ストランの1階のショップには黒酢を使用した様々な商品が並ぶ。生のフルーツを漬け込んだフルーツ黒酢、黒酢ドレッシング、ぽん酢、食べる黒酢、スイーツ等、どれを買うか決められないほどの商品数で、化学調味料や合成着色料・保存料などは使用していない徹底ぶり。
レストランの一階にあるお店。福山黒酢の製品がずらり。
レストランから車で40分ほど離れた鹿児島市内には、2022年に「PANTOSU(パントス)」という黒酢とパンのお店がオープンした。パン作りの際に黒酢を使用し、無添加ソーセージや全粒粉を使ったパンなど、昨今の無添加・健康ニーズに対応したパンが並ぶ。
黒酢とパンの店「PANTOSU」(Instagram)。
手作りへのこだわりが伝わるやさしいパンが並ぶ。
黒酢を通しておいしさと楽しさと健康を提供し続けている福山黒酢㈱は、これからさらにどんな黒酢の楽しみ方を私たちに教えてくれるのだろうか。
2023年4月取材
\中村シェフの黒酢レシピ/