手と自然が作り続けて400年。日本で唯一の伝統発酵茶〈碁石茶〉
世界的にも珍しい、微生物で発酵させるお茶が日本には4種類もある。碁石茶®(ごいしちゃ)*は高知県大豊町(おおとよちょう)で400年もの間つくり続けられてきたが、いまだに解明されていないことが多い。変わらないのは、碁石茶が人と菌と自然でつくられているということだった。
*碁石茶は大豊町碁石茶協同組合の登録商標です。
発酵するお茶、しないお茶
緑茶や紅茶、ウーロン茶などの一般的に「お茶」と呼ばれるものはすべて「チャノキ」という植物の葉を加工した飲料のこと。同じ植物にも関わらず多様な色や味になるのは加工方法の違いによるもので、どのような発酵工程を経るかによって大きく変化する。
お茶の種類を発酵工程で大きく分けると4つある。緑茶は不発酵茶と呼ばれ、収穫した茶葉を蒸して乾燥させるため、発酵はしていない。紅茶やウーロン茶は茶葉に元々含まれる酵素の力を利用して発酵させたお茶で、発酵茶や半発酵茶と呼ばれている。そして後発酵茶は、収穫した茶葉を蒸して茶葉に含まれる酵素の力を止めた後に微生物を利用して発酵させていく。
茶葉の発酵のさせ方で様々な味わいに!
後発酵茶は微生物発酵茶とも呼ばれ、最も有名な微生物発酵茶は中国の雲南省で作られるプーアール茶。微生物発酵茶は世界でも珍しいお茶の製造方法で、雲南省の他にはタイとミャンマーの国境地帯でしか発見されていない。そんな中、日本では昔から4種類もの微生物発酵茶が作られてきた。高知県大豊町の碁石茶、徳島県上勝町(かみかつちょう)の阿波晩茶(あわばんちゃ)、愛媛県西条市の石鎚黒茶(いしづちくろちゃ)、そして富山県朝日町のバタバタ茶。日本国内で作られている4種類の微生物発酵茶のうち3種類が四国にある。
たった1軒がつないだ伝統製法
微生物発酵茶の中でも、特に珍しいのが2度発酵の工程を経る碁石茶と石鎚黒茶。阿波番茶やバタバタ茶の発酵方法は海外でも多少発見されているが、茶葉を2段階で発酵させる作り方をするのは世界でも類を見ない。
「碁石茶は東南アジアの山間部から雲南省を通って四国へ伝わったとされ、江戸時代には土佐藩の主要生産物だったと史料に記録されていますが、誰が作り始めてなぜ四国というこの地域でしか製造されていないのか、まだまだわからないことばかりです。」
そうお話くださったのは、高知県大豊町碁石茶協同組合の組合長である小笠原功治さん。明治時代まで特産品として生産され、最盛期は年間100トンもの生産量があった碁石茶だが、時代の変遷の中で生産量は減り続け(現在は1トン程)、昭和50年代には碁石茶の生産者がたった1軒になってしまった。そして全国で唯一、碁石茶を守り続けたのが小笠原家だった。
たった1軒になっても伝統製法を繋いできた小笠原家。7代目となる小笠原功治さんは高知県大豊町碁石茶協同組合の組合長を務める。
「父の代の時に碁石茶を作る農家は小笠原家だけになり、400年前の江戸時代から受け継がれてきた製法と菌を細々と守り続けていました。近年の健康ブームで碁石茶に注目が集まるようになりましたが、1軒だけでは生産が全く追いつかない状態でした。そこで、平成21年に碁石茶の生産者組合を作り、私を含む4人の農家と1軒の法人で大豊町碁石茶協同組合を運営しています。生産量が少しずつ増えて全国に流通し始めたら、消費者さんから味のバラつきについて指摘を受けました。同じ町内で同じ製法で作っていても、作っている場所の菌の状態が異なるから、味が変わるんですよね。」
1度目の発酵時に使用されるむしろ。小笠原家で1度使用し、菌が棲みついたむしろが毎年組合員に配布される。
味を均一化させるために組合で取り組んだことは、それぞれの製造場所にいる菌を調べることだった。大学と協同して菌の数や種類を調べたところ、小笠原さんの家にいた菌が最も適しているとわかったため、現在は小笠原さんのところにいる菌で碁石茶を生産している。
菌と自然と手・手・手…
碁石茶に欠かせないもの、それは人の手。全国的に茶葉の収穫は機械化されているところが多い中、碁石茶を生産している大豊町は標高約450mの急な斜面に茶の木が植えられている。除草剤が使えないので雑草は人力で刈り、収穫は無農薬で栽培しているヤブキタと、自生している山茶を枝ごと刈り取るため、人力に頼らざるを得ない。
急斜面に育つ茶畑には機械が入れず、すべて人の手で刈っていく。
枝ごと蒸された茶葉は、枝と茶葉に手作業で分別し、発酵部屋にあるむしろに寝かせていく。その時に必ずやらなければならない工程が、茶葉と茶葉の間に空気の層を作ること。両手で茶葉をつかみ、ふわっと宙に舞い上げながら重ねていく。部屋の中には碁石茶を発酵させる菌が棲んでいて、自然に菌が繁殖していくのを待つ。
一次発酵を終えた茶葉を桶の中に漬け込む際にも、きちんと菌が繁殖した茶葉とそうでない茶葉を選別したり、異物が混ざり込んでいないかを確認したりするために茶葉を一枚一枚広げていく。一方、二次発酵では空気になるべく触れさせないようにする。発酵によるガスが発生して桶の中に空気の層ができるのを防ぐため、茶葉の重さと同じ重さの重石をのせる。ある人が重石をのせる手間を省こうと考え、桶と天井につっかえ棒をして抑えようとしたら、ガスが棒を持ち上げる力の方が強く、屋根が持ち上がったという逸話があるほど発酵の力が強い。
しっかりと菌が育っているか、ゴミが混ざっていないかを一枚一枚丁寧に確認していく。
二次発酵を終えた茶葉は何層ものミルフィーユ状態になっている。桶の中からまずは30㎝角ずつに茶葉を切り出し、さらに専用の包丁で3~4㎝に切断していく。この後、天日に干していくが、晴天で7日以上干さなければならないため、天候を見ながら桶の中にある茶葉の切り出しのタイミングを計る。とはいえ、切り出さずにずっと漬け込んでおくと発酵が進みすぎてしまうし、茶葉を切り出して切断してすぐに干せなければ別の菌が繁殖してしまい、碁石茶の味にはならない。長雨が続き、天日干しができずに碁石茶が生産できなかった年もあるそう。
柄の長い包丁で茶葉を桶の中から切り出し、柄の短い包丁で細かくする。崩れないように切るには長年の経験が必要。
切断された3〜4㎝のサイコロ状態の茶葉を丁寧に薄く剥がし、むしろの上に手作業で並べていく。この様子が碁盤の上の碁石のように見えることから〈碁石茶〉という名前がついたと言われている。「昔は包丁で切断するのではなく、桶から取り出した茶葉を薄く丸めていたようなので、今よりさらに碁石に近い状態だったのだと思います。」と大豊町碁石茶協同組合スタッフの中山佐苗さん。
サイコロ状態の茶葉をむしろの上に碁石のように並べていく。
夜露がつかないように夜は天日干ししていた茶葉を屋内に取り込み、翌朝にまたむしろの上にひとつひとつ並べ直す。これを数日間繰り返す。ビニールハウスの中で天日干し乾燥させればいいかというと、実はそうではない。紫外線が直接当たることによって、茶葉からノリのような成分が生み出され、茶葉と茶葉がしっかりとくっつくようになり、碁石茶特有の黒い色になる。ハウスの中で乾燥させると風味や味が出ず、黒い色にならない。機械で乾燥させれば茶葉はバラバラになってしまう。
碁石茶の作り方は口伝だったため、作り方が記載された史料はない。組合を作る上で必要になったため、年ほど前に初めて、ある程度の製造方法がマニュアル化された。しかし、20年によって気温や湿度は変わり、個々の生産者の立地も異なるため、最終的には菌と自然と人頼みである。
深みが増していく碁石茶
「一般的な高知県のお茶は4月下旬から5月初旬に一番茶の摘み取りが始まります。しかし、碁石茶の製造は6〜8月です。大豊町は標高が高いこともありますが、この地域は5月に田植えをして9月に稲刈りをするので、田の仕事がないこの期間を利用して碁石茶を作るようになったということがわかってきました。現在、碁石茶は文化庁の無形文化遺産へ登録申請をしています。これまでほとんど史料が残っていない碁石茶ですが、無形文化遺産に申請したことによって様々な角度からの調査が始まりました。今後の調査報告が楽しみです。」と㈱大豊ゆとりファーム代表の吉村優二さん。
室町時代の和歌でも詠われているように、茶摘みは古来より女性の仕事だった。高知県には気が強く働き者の女性を表す〈はちきん〉という土佐弁がある。大豊町の〈はちきん〉たちは、稲の生長を見守りながら、その期間にできることとして碁石茶作りをしていたのかもしれない。謎多き碁石茶は今後ますます新しいことがわかってくるため、味わいの深みがどんどんと増していく。
小笠原組合長は「碁石茶はそもそも人の数と天気次第です。碁石茶の健康効果は徐々にわかってきていてファンも増えつつありますが、生産量をどんどん増やせるものではありません。生産量を増やすことよりも、400年続くこの製法を守っていくことを大切にしたいと思っています。」と想いを語ってくださった。